以前にも『書くこと』を書いてみました。今回も書いてみます。
いつも思うのですが、書く際にいろんなことを考えてしまいます。
小さい部分では、『~です』『~ます』にするのか、体言止めにすべきか。
大きな部分では、どんなテーマにするのか。
テーマ決定後は、リズムを考えてどこで句読点をいれるのか。
さらに、リズムが悪くなるので、無駄な言葉を排除し、理解してもらえる最小限の表現にする。
無論、必要な無駄はバシバシ打ちますが、不要な無駄は邪魔だから削除します。
つまり、考えることで手段は以前よりも上達した気がします。
しかし、掘り下げるべきテーマが全く掘り下がらなくなりました。肝心な点が考えられてません。
その理由を考えてみました。
大学受験では国語の偏差値40。変な解釈するわ、ろくに言葉を使えないわ(今でも)、
それはそれはひどいものでした。
本はたくさん読み、映画も観て、音楽も聴いて、いろんな人と出会ましたが、
それらで拾った表現を実際の『書く』という行為に全く落とし込めなかった。
そんな俺が書く面白さを知ったのは、やはりメールでしょうか。
しかも出会い系でしょうか。って疑問文ちゃうな。
出会い系メールのおかげです。
当時、8年前、まだポピュラーではなかったメール(PC)に真っ先に飛び込み、
AOLでいろんな女性と会いました。妻とも会いました。
もうアホかというぐらい書いては返信を待ち焦がれてました。その中で気づいてしまいました。
○書けば書くほど、うまく自己表現できる。
そんなツボに気づき、熱病の如く、書いて書いて書き倒してました。
キーを1回叩くことが絵筆の一タッチ、一文字入魂。基本が狂ってます。
基本が狂う理由は単純です。
『俺をわかってくれ!!』『俺は誰かと精神的に繋がりたい』・・・・俺。俺・俺・俺状態です。
当然のことながら、テーマは自分と直接的に繋がっていたから、一生懸命にもなりますし、
必然的に掘り下がった内容になりました。単刀直入にいえば、INにINに入り込んでいった。
では、今は?
結婚もした。パートナーとも切磋琢磨しながら協力している。
仕事もマズマズだ。経済的にもさほど切迫していない。
身内にも大きな問題は起こっていない。何の物欲も沸き起こってこない。
つまり、無難で、平凡で、世間一般的に『幸せ』な状態なのでしょう。
こんな状態では、いいものを書こうと思っても、書けない感覚がつきまといます。
自分の細胞や神経が逆撫でして立ち上がるような、例えるなら恋愛時のような精神状態が必要
なんでしょうか。
それとも、ただ単に想像力がなくなっているのでしょうか。
いや、もっと普遍的なものかもしれない。
映画でも音楽でもなんでもいい、例えばサッカーを観て興奮した、とします。
しかし、『興奮した』という文字で書き綴りますが、自分の抱えた感情を実際に表現するのは
とても難しい。興奮にもいろいろありますが、その素地や起伏・種類・微妙な違いをどうすれば
文字で他人に的確に伝えられるか。おそらく無理でしょうか。それは無理なんでしょうか。
んー、結局うまく表現できない。答えは風の中です。